ねこ猫交遊録ー過去帳ー”ターボ”

育った家で、最後に飼ったのが滅茶滅茶色々な色が混ざった雌のターボとその仔のモグチだった。ターボは賢い雌で私と良く隠れん坊をして遊んだ。勿論、犬と違うから、猫を部屋の外に出し、猫の手がかかる位、ホンの少し引き戸を開けた状態で私が隠れて、『もう良いよ~!』と叫ぶと眼をキラキラさせたターボの顔が引き戸から覗き、私が隠れている、と彼女が思う処、3か所あるカーテンの陰、に忍び寄り、見つけるとカーテンの上からワッシワッシと私の顔の位置まで爪を立てて上ってくる。この遊びが出来るのは後にも先にもターボだけであった。

写真は借り物なので、本物ではない。色はこんな感じで、違いは顔の中心線で黒と茶がハッキリと分かれていた事だ。ターボは外猫の仔で、出窓下の家で生まれたが、母猫に迫る雄猫に襲われ、仔猫がターボ以外殺された。唯一、カモフラージュされる様な毛色の仔が残った。それがターボだ。危険なので、この仔は家の中で飼う事にした。口を開けて鳴くと濃いピンクの舌が綺麗な色をしていた。猫は口内の上あご迄斑が入る事を知ったのは黒っぽい猫を余り飼った事が無かったせいであろう。
ターボは私が飼っていた十姉妹や文鳥、金魚等に手を出す事は決してなかった。勿論、猫であるし、当時の東京は野原が住宅街にもチラホラとあったから、蜥蜴や蝶、野鳥等は彼等の食糧となり、当時の猫の餌の定番であるオカカご飯で足らない分を補給していたに違いない。今、私が住む町が丁度その頃の東京と同じ環境にある。
母の兄弟姉妹で一番末っ子の叔母が出産で里帰りすると、其の子供が家に来て私の遊び相手となった。家にはいつも猫が居たから、彼女達も猫が好きだ。叔母は子供達を上品に躾けようとしていたから、とてもきれいな日本語で子供達に接していたし、子供達も上品な日本語を話していた。勿論、小学校に上がるまでの話だが。長じて、運転免許を取った後にのせて貰った車内では、叔母が聞いたら腰を抜かすのではないか、という言葉を使っていた(笑)。
笑えるのは、猫に対してまで敬語を使っていた事だ。毛繕いをしている猫の口先に小さな指を出すと、猫がペロリと舐める。すると、『タボチャンに舐めて頂いたぁ~』と母親に報告する二人の従妹に私はいささか吃驚したが。
家を建て直し、叔父の家族が入る事になり、私と母も家を出る事となった。最初は知り合いのアパートに住んでいた。家まで5分なのでご飯を持って通った。やがて、私達が15分離れた処へ越し、私も就職を食糧た。いつの間にか、ターボ達との縁が遠のき。やがて切れてしまった。家ネコになる事は無かったから、交通事故で死んでしまった。
今、私が猫に没頭しているのは、遊んで呉れた友猫、ターボ達へのせめてもの恩返しのつもりなのだろう。

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rwu6117@gmail.com

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