百薬の長
最近はお酒をたしなむ事が世間的にあまり好ましくない傾向にある…私だけがそう感じているのかも知れないが。団塊の世代が若かりし頃は大人になった、という気持ちも手伝ってか、集まると飲んだ。社会人になってからはウイスキーが主流であったが、意地汚く何でも飲む。ワインが流行ればワイン、スペイン料理ではガスパッチョ。しかし、年を重ねるに従い日本酒の自然な匂いと味が好きになってきた。
世間が酒離れしているのに自分が酒から離れない、其の言い訳という意味もかなりあって寺田本家の前社長が書かれた本を読んだ。前社長は自分が健康を損ない、家業の酒造りと言う事を根本から考え直し、”百薬の長”を追求し、実現にこぎつけた方である。同書を読み、日本酒についての知識が深まり、自分もどうせ飲むなら百薬の長を飲みたい、と考えた。この酒は火入れをしていない。自然の素材を使った、自然の菌と共生する。
大自然の中では冬に生きて活躍できる菌は麹菌である。この麹菌こそが日本でしか存在しない菌である。やがて旧暦の正月を迎え、気温が徐々に上がり始め、野菜などの植物も工夫次第では芽吹き始める。自然界でも乳酸菌が動き始める。そして、酵母菌が活躍をする。この自然の流れは日本酒を造る際の菌の働きでもある。
この菌の移り変わりは庭の常在菌も同じであるし、漬物を付けた時も、また米ぬかベースの堆肥を作る場合も同じ変化が起きてくる。発酵が簡単に行われる事は高温多湿な日本ならではの恵だ。
江戸時代には微生物のリードで作られた日本酒は本当に百薬の長であったに違いない。だから、私は酒を飲む時には必ず口上の様に、『この酒はね、江戸時代の製法で作られた酒だよ、その辺の酒とは違うんだ』、と自分にも言い聞かせ、おお威張りで夕餉の楽しみとしている。
呑み助の中には飲むことだけに専念して目の前に食べ物があることさえ嫌がる御仁もいるが、私は美味しくて好きなものが目の前に並んだ方がよいし、次はアレで酒を楽しみたいな、という目標みたいなものがあるのがなんか楽しい。一人で飲むもよし、仲間と飲むもよし。私にとっては”飲む”は”食べる”と同じである事に気付いた。そして、お喋りと同じ意味を持つのかも知れない。
肴が所謂ブランドものの肉であろうと、B級グルメの焼きそばや餃子でも良いのだ。珍しい魚も良し、山菜の天ぷらも良し、池波正太郎の本に出て来る余ったカツを醤油に浸したものも楽しい。
この町にも麹屋さんの看板を上げて居る店があり、15年以上も前の事だが、喜んで訪ねたら、とっくに廃業され、看板だけがそのままになっているとの事であった。残念!
昔はきっとどこの町でも必ず麹屋さんがあり、普通の家庭で麹が調理に使われていたのだろう。同じ様に酒蔵がどこの町にも存在し、その土地の水でその土地の産物やそれを使った料理に合う味で熟成されていたに違いない。
実際に、同じ関東平野でも北部の栃木県や群馬県では水の味も作物の味も違う。従って漬物や酒の味も違う。内陸の酒は海っぱたに比べるとやや濃くて舌にまとわりつく様な感じがする。片や、千葉県などの海際の地では刺身などに合う比較的あっさりした味わいのものが多く、酒も魚も味を引き立て合っている。
酒税が出来たのが、日露戦争の頃と聞く。日本酒に詳しくない時は、出来るだけ醸造アルコール不使用の酒を選んでいた程度の日本酒ファンであった。特に戦後、国が色々と酒の製造を指導し始めたあたりから”手抜き”が始まったらしい。
地方では、明治時代には自家製のどぶろくを大いに楽しんでいたらしい。祖母が語ってくれた話では、密造酒を取り締まる官吏がやって来ると村の当番が瓶を抱えて家から逃げ出す。その間に他の村人は自分の大切な”百薬の長”を役人の目の届かない安全な場所に隠しおおせる、という段取りが出来て居たらしい。全く漫画に出て来そうで大好きな話だ。

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