無農薬無施肥で野菜を育てる /

西隣さんの温州さん、今年は一寸痛々しいけれど頑張っていますよ~!

我が家の夏蜜柑が日に日に大きくなってきたので、温州さんを見に行きました。久しぶりだなぁ。姿は痛々しいけれど、頑張って呉れています。数は少な目ですが、ピンポン玉位の大きさになりました。暑い、暑いと言っている間に月日はどんどん過ぎて種まきの季節になりました。大根はあと一週間後になります。

左: 恋しぐれは古いので出るかなぁ。タキイの京紅、玉葱、茗花は蒔きました。大根は今月中旬です。

右: 汐留分けつ葱は昨日蒔いています。

 

 

 

令和5年9月4日(月)

小トラには夜中にカリカリだけ与えました。4時近くに福が来て、うめは一晩泊まっていましたが、皆でご飯。一階😸さん達もカリカリ+缶詰。

零れたのは少しだったのですが、福の缶詰を私がひっくり返した跡を小トラが懸命に調べています。

 

タイガーさんは朝まで四回目。最近はセルフサービスをしない良い仔です。その代わり、私が起きるまで只管待っています。

 

 

 

 

 

6時過ぎ、30分位前から降り出した強めの雨は降り続いています。こういう時にうめも、福も表です。だから言ったのに。

 

ちゃーちゃんを除く一階😸さん達+小トラはカリカリ+缶詰を皆で食べています。狭いけれど、下で食べさせると赤トラ君が氣に入らないらしく、砂かけをして残った🍚を汚すので、机の上で食べさせています。小トラは私が載せましたが、引けを取る事なく、食べています。皆でワチャワチャ食べるのは楽しいし、美味しい事を知って欲しいです。トラ子がずっとワチャワチャしたがって居ました。実際にトラ子が福とうめとワチャワチャで来たかは疑問ですが。笑 トラちゃんのノスタルジーです。

 

 

 

 

小トラは一階では実の母親のそっくりちゃんと顔を合わせていますが、我が家に来たのが右の写真ですから、その頃の面影はほぼない、と言っても過言ではありません。但し、チョロチョロ走り回っている小トラの弟妹達はそっくりです。『お母ちゃん、僕、この家の仔になったよ。』『そうかい。確り食べさせてもらうんだよ。』位の感覚なのかなぁ。

 

9時半過ぎ、うめに次いで福もやってきて🍚です。小トラもお相伴。

ちゃーちゃんが来て…未だお腹は大きそうです…🍚を食べて皆もさっきカリカリを食べたのに、雨だと暇だしお腹が空くころだね。小トラも参加です。

10時半、小トラが二階に戻って来ました。そろそろ猫さん達のお昼寝時間ですか?

 

 

猫のトイレに使うペレットに水を掛けると数分でこんな風になります。これで良いのかなぁ。以前使っていたのはそのままの形を保っていたけれど。まぁ、化学薬品で固めてあるとすれば、こちらのタイプの方が良いのでしょうね。しかし、仔

 

17時過ぎ、パソ塾の帰りにおおたやさんで買い物をして、ミカンの支払いをして、帰って来たラ小トラが腹ペコでした。カリカリ+トロミ+ちゅ~るタワーを上げて、福も来たので、福はいつも通りカリカリ+トロミ+ちゅ~るタワーでお替りに鰹の生を切って上げました。一階で切っている時からニャーニャー言っていました。匂いがあるんですね。レンチンした小トラの分まで欲しがっていたので、半分わけました。否、全部食べたいというので、全部上げました。笑

私の目を見て、カリカリじゃないよ、オシャカナだよ~、と訴えています。ジュレを上げて胡麻化しました。

小トラは一階から戻って特盛を食べました。カリカリ+トロミ+ちゅ~るタワー+ジュレの具の大きい物+鰹のレンチン。4粒のカリカリ青袋を残しただけ。健啖家。まぁ、お腹が空いていたんだよね。

福はpcの隣に安住の地を見つけてゴロゴロ言っています。20時台が弱雨なので、それまでいてくれるといいなぁ。

 

強い雨が降り出す前の空。5時40分。

 

9月7日辺りに最接近です。

13号に関して 氣象庁の発表です。ほぼほぼ確定ですね。

 

 

 

 

セント・ジャーメイン : 銀河最大のショー 2023.9.2 | PFCJ

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6時半過ぎ、ご飯が炊きあがりました。5合で最後の二食が乾燥氣味でしたので、4合炊きました。炊き終わって出窓にお鍋を戻して温度を下げるようにしてみました。

いつ雨が止むかなぁ、なんて考えている自分がいるけれど、昨日まで雨なしの日々が続いていたんですよねぇ。有難いですね。水源も少しだけ潤うかしらね。そう考えたら、雨の日を楽しまなくっちゃ。

 

今日はパソ塾に遅刻でした。ふとpcを見たら15時10分!?慌てて飛び出してうめに帰ったら上げるからね、と言ってすっ飛んで行きましたが、帰ったらうめは外出中。それにしてもこの蒸し暑さ、何とかならないの?しかも、無風です。きつい。でも、皆元気だから可とするか。

 

 

 

 

 

 

 

 

庭仕事

 

そうですね。自然農法、自然栽培等の分野は広がりを見せるでしょうね。それと同時にダーチャ(家庭菜園)も広がって行く、と思われます。通年、何かしら栽培をして自分で安心安全な野菜を楽しむ。プロだけには頼らない世界です。

 

本当に高田さんの動画は参考になります。

 

わずか100年位前の日本では、山師を除いては普通の人も自分の山の水脈を読んだり、水の濁りで災害を見極めたり、乾燥した土壌をしっとりした状態に戻す事を普通にやっていたんですよね。近代化で日本人が骨抜きにされちゃった。欧米の働かない富裕層と働く奴隷の感覚を徐々に刷り込まれちゃったなぁ。自分で山の面倒を見て、判断していれば、キリスト教を布教しようったって、フランシスコ・ザビエルも書いている通りそうは簡単な仕事じゃないんだよね。だって、一人ひとりが生き方に自信も誇りも持っていた、いわば経営者的メンタリティを備えていたんですよね。そして、魚は偶に食べるけれど、ほぼ菜食で特殊な身体の使い方を持っていた。改めて、凄いな、日本人って。

 

野菜も庭木も植物全体が大喜びしています。

この綺麗な緑の若葉が夏蜜柑を育てます。

 

 

 

木は腐るものだから、防腐剤を確り染み込ませる。これが私の木材に対する考え方でした。屋外に置く木材に関しては発がん性が無いという防虫、防水、防腐剤を必ず二度塗りしていました。ところが、高田さんの動画を見るにつれ、それが間違いである事が分かりました。そもそも木材は朽ち果てるのが運命です。其の裏には人の目には見えない微生物の働きがあります。神社や山の斜面にある横木階段は横木を置くだけで周りの樹木の根がその下に伸びて来るそうです。それをもっと積極的に横木の際に竪穴を掘り、燻炭、粉炭、落ち葉を入れ、炭に微生物が棲めるようにすると、竪穴が水の流れと空気の流れを地中に伝え、炭に棲む微生物が人が掘った穴を更に更に深くし、その穴にそって水も空気も植物の根も地中深く降りて行き、確りとした地面を形成するという事なのです。

高田さんは舘山の沖ノ島にある宇賀明神のご神木が倒れた、その再生事業に関わっていらっしゃいますが、巨木が倒れたら、それを処分してはいけないのだそうです。横に寝てしまったら、乾かないように、根を草などで覆い、もちろん、燻炭粉炭も使いますが、そのまま再生を図ります。タブの木がご神木と聞きましたが、やがて倒れた幹からは葉が何十枚も出て、幹が出来、数年の内に4-5mになり、あっという間に10m位まで伸びて行くそうです。ご神木の木は其の単一の木だけを見たら樹齢300年かも知れませんが、倒れて人が手入れをして復活し、命を繋いできたとするなら、もしかすると1000年、それ以上の命をその場で紡いで来たのかも知れません。

私の知っているやり方は同じ種類の苗木を同じ場所に植える、という事でしたが、遺伝子的にはその場の情報を持っていない苗木が植え付けられることで、成功の確率は低くなります。

現在、舘山の沖ノ島は宇賀明神のご神木を再生するとともに、アマモが海底に生える環境を守るために山を再生するプロジェクトが勧められています。高木があり、その下には中木、低木が続き、決して鬱蒼とした杜にはならないそうです。針葉樹の杜でも広葉樹が混じり、明るい見渡しのよい杜になるそうです。これは自伐林業をやっている方が仰っていました。藪があって篠竹が生え、葛等がその先に絡んでいるのは土地が荒れているからだそうです。高木の深い根が地中深く水脈j、氣脈を作り、土中を潤し、やがて麓に水を沸かせるそうです。

だから、日本の昔の家は山際に多いのですね。但し、昔は崖から二間(3.6m)離して立てていたそうです。水が湧きますから井戸にはよい水が湧き出ます。其の近くに家屋を立てたら湿気の覆い家屋になってしまいます。そういう場所は井戸を作り、池を作り、その水を更に下の人達が使える様にして行く。そういうルールが住んでいる人達にはあったそうです。

さて、木材の朽ちる方が良い、というところから脱線してしまいましたが、山道で横木になった木材には菌糸が回りじわじわと腐りますが、腐る前に植物の根を育て、土中の水脈氣脈を守るという役目をはたして枯れて行くのですね。現代のやり方は本来の正しいやり方と比較すると真逆な事が多いですね。棒k不在を塗布した木材には微生物は住めないんじゃないかしら。

私もモルタルで数メートルの斜面に歩きやすいように階段状の道を作りましたが、本来雨水は土地に浸透すべきもので、浸透しないでU字溝に雨水を流すという考えは土地を枯らす事につながるんだそうです。同じ様に海に還るんじゃない?、という声が聞こえそうですが、地価を通って更に濾過された水は海に出て小魚を育て海藻をはぐくむそうです。U字水の水は皮と合流しそのまま海に流れて行きます。決して生命力のある水とはならないんですね。

確かに、水脈は地表面の水路が無くなっても元の湧き水がある限り伏流水として流れているだろう令は石神井川沿いを散歩していた時に見て感じました。人の目に見える川は無くなっても水は違う川を作っているんですね。

朽ちる運命を持つものは朽ちさせる、其れも自然な形で。これは日本に会った風葬にも言える事です。鎮守の杜を守るというのは大体鎮守の杜は山の天辺にあり、其処に村の人達はお棺にご遺体を入れ埋めたそうです。お棺に入れたままで微生物が働き、やがてご遺体は分解され、数年で残るのは骨と髪の毛だけだそうです。木製のお棺は最後まで朽ちずに残るそうです。これも不思議ですね。

ご遺体はその方が住んでいた山の水や土として還って行き、土地と一つになります。今は焼いてお骨にしてコンクリートの箱に入れられ土に還る暇もありません。

鎮守の杜もお参りするのは麓にお社があり、年齢を重ねた方でもお参りで来たそうです。この話を聞いて、風葬って素敵な習慣だなぁ、と感じたのは私が年おいたせいでしょうか。この町でも雑木林に土饅頭ならぬ砂饅頭があります。初めて見た時は薄気味悪い、と思いましたが、一番明るい葬られ方なのかも知れません。

 

現代建築で家が建てば建つほどに土地は荒れる可能性が高い、という事ですね。都会の様に人の多い処はいざ知らず、生活排水も微生物由来のものを施して土地へ流し、水も氣脈も損なう事の無い生活が出来たら、とても氣持ちが良さそうですね。

左: セメント舟を外して直接雨水を地面に流しました。粉炭の細かい処は雨と一緒に流れたけれど、1㎝以上の大きな炭は残っていました。

右: 今日も暑いけれど、暑さが通り過ぎた事を植物は知っていて日本古来の”青い”緑青の色の葉を出して来ました。

 

 

投稿者

rwu6117@gmail.com

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